- 2011年4月16日 5:47 PM
- 当院の地震被害状況
3月11日に起きた東日本大震災において当院はとんでもない被害を受けてしまいました。
最近になって、工事の終了予想が出たのですが、何と4ヶ月以上もかかるそうです。現在、新館には全く人が入れない状態となっていて、またその工事車両を置くために職員駐車場や医師駐車場も車をとめられない状態が続き、スタッフ全員が患者さん用の駐車場を使っています。そのため、患者さん用の駐車スペースが極端に狭くなり、皆様には多大なご迷惑をおかけして、本当に申し訳なく思っております。
そのような状況下で小生自身も心身共に建物以上のダメージを受けてしまいました。
何とか外来診療は毎日続けておりますが、、あまりのストレス過多で皆様にご満足のいくようなマンスリートークを考える余力がなくなってしまいました。
そこで、今後の数ヶ月間におけるマンスリートークは、当院の平成14年から18年までにトピックスとしてHPに紹介していたもののなかから、特に評判の良かったものをマンスリートークの代用として使わせて頂きます。
数年前からの当院HP読者なら、読んだ記憶があるかと思いますが、もう1度読んでも、けっして無駄ではない内容ですので、復習だと思ってお読み下さい。
すべての工事が終了するまでは、毎月過去のトピックスの中から名作と言われたものを選んで紹介して行きたいと思いますので、上記の事情をご理解の上、何とか過去の内容の再アップにてお許し頂きたいと思います。
今月のトピックスはコーヒーブレイクということにしたいと思います。その内容は私が最近読んで非常に面白かった実話2編の紹介とお薦めコーヒーの紹介です。
当院のトピックスもそろそろ1年近くなります。毎月健康情報を紹介して来ましたが、今回はがらりと趣向を変えて「コーヒーを飲みながら2編の話を読んでちょっとひと息入れてください。」というコーヒーブレイクです。まずコーヒー紹介ですが、脳が生き生きしてきてアルファ波がどんどん出てくる健康珈琲というものが大阪のマインドフィットネスという会社から発売されました。1日に9杯飲んでも大丈夫、寝る前に飲んでも良く眠れるということを謳い文句にしています。飲む前と飲んだあとの脳波を比較すると明らかな差が出ています。詳しくはパンフレットをご覧ください。
このメーカーはよほど味に自信があるのか、「味に納得いかない場合の返金保証」を掲げています。(パンフレットの1番下を見てみてください。)コーヒーを売っている会社で返金保証などしている会社がほかにあるでしょうか?
味が気に入らなければお金が戻ってくるのですから、とにかく1度お試しされてはいかがでしょうか・・・・・・
さてそれでは2編の話に入ります。まず1つ目はいま世界的に有名な成功者の話です。
2つめは国民的ヒーローの話です。2編の話を全部読むといつものトピックスよりも長いですが、どちらも気軽に読める話だと思いますので是非とも最後まで読んでみてください。
それでは始まります。
「あなたが成功した最大の秘訣を教えてください」新聞記者がある大富豪に質問をした。大富豪は答えた。「成功の秘訣?それは大きなビジョンが持てるかどうかだけだよ」即座に答えたそうです。
【大きなビジョンが持てるかどうかだけ!!】
このように答えたのは世界一の大富豪・大成功者あのビル・ゲイツ(1955~ )そうマイクロソフト社の創業者です(フォーブスの発表する世界長者番付では4年連続一位)ビルがまだ、コンピューターが好きな学生に過ぎなかったころ、世界初のパーソナル・コンピューターといわれる「アルテア8080」が発売されました。これはコンピューターの世界を変えてしまうような画期的な製品でした。ところが、残念なことに、そして腕に自信がある者にとってラッキーなことに「アルテア8080」にはまだソフトウェアが開発されていなかったのです。このニュースを知った、腕に自信があるコンピューター・マニアたちは、きっと我こそが「アルテア8080」用のソフトウェアを作り上げてやろうと張り切ったに違いありません。中には、早速、プログラムを組み始めた人たちもいたのです。ビルも友人と、「このコンピューターに、ちゃんとしたソフトウェアさえあれば、とてもたくさんのことができるだろう」「絶対に、俺たちが、このすばらしいコンピューターのプログラムを世界で一番はじめに作ろう!」と語り合ったのは言うまでもありません。ただし、ビルの場合は、それだけではありませんでした。あることを考え、【とんでもない行動を起こした】のです。それは、、、、、
「ソフトウェアが完成したので見てください」とまずは手紙を書いたのです。
それもまだプログラムが完成していないうちから、、、、。「あー、フライングしたのね。完成のメドがたったから、、」そう思うでしょう?でも、その程度のことではなかったのです。
ナンセ【とんでもないこと】ですから、、、、。その完成したという手紙を送った時にはビルたちの元にはまだ「アルテア8080」そのものがなかったのです。「アルテア8080」自体を手に入れてもいなかったのです。
つまり、ある意味でホラを吹いたわけですね。それも大法螺もいいとこですね。ところが、ビルたちのすごいところは、ソフトウェア見事に逸早く完成させることに成功したのです。たった8週間という短い間に、、、、、、、。
そして、これを足がかりに、マイクロソフト社を立ち上げ、さらに大きなビジョンに向かっていくことになります。するとそこでも奇跡が待っていました。24歳の青年が率いる単なる小さなソフト会社がIBMという巨人と提携することになったきっかけをお話ししましょう。1980年当時、IBMはOS(オペレーティングシステム)を提供しないかと当時のトップ・クラスの技術者に密かに声をかけました。しかしその技術者は当時すでに十分に成功していたこともあって、IBMのその提案の重大性に気づかなかったのです。休暇を返上してまでIBMに付き合おうとはしなかったのです。それで惜しくも交渉は不調に終わり、その結果、小さなソフト会社が浮上することになるのです。IBMの極秘プロジェクト担当者はマイクロソフトに電話をかけました。ビルはIBMからの突然の電話に驚きました。しかし、見事にチャンスをつかむ才覚を持っていました。IBMは急いでいました。「明日にでも打ち合わせしたい」と。ところでビルにとって、明日はアタリ社会長との予定が入っていました。アタリ社はマイクロソフトにとってビッグ・ユーザー。IBMは魅力的でしたが仕事に実際になるかどうかわからない。TVならここは「運命の選択」とでも言って、視聴者に質問が投げかけられるところでしょう。魅力的ではあるが、どうなるかわからないIBMの話を1日くらい先延ばししてもいいのではないか?と私なら思います。今、お世話になっているビッグ・ユーザーの会長との会見を優先するのが普通の感覚でしょう。1日、2日延ばすくらい。
しかしビルは即決します。それもアタリ社会長との予定をキャンセルしてまで、IBMの担当者を迎え入れたのです。この対応の差が大きく明暗を分けることとなりました。
「運命は志高き者に微笑み、志なき者をひきずる」
IBMと組んだことによって、BASICを売る小さなソフトウエア会社は全世界のパソコンのOSを供給する大会社に発展していきます。今日のマイクロソフト帝国はこの日の決断によって、道が開かれたと言ってよいでしょう。そして今、その影響力はパソコンの世界の隅々まで及んでいます。自分たちにできることは現実的にどんなことだろう?
夢を叶えるには 何をまずは 準備しなければならないだろう?
当然考えることです。それは大事なことです。しかし、ついつい、はじめは大きかった夢も、高かった志も、だんだんと現実的なもの、対処しなければならないこと、今日・明日とりあえずやらないといけないことなどで、小さくしぼんでしまいませんか?
けれど、自分の夢を実現するのに本当に必要なのは、ビルのように、大きな目標を持つこと。それも、「よし、これだ!」「絶対にかなえたい」ということからはじまるのではないでしょうか?小さな夢では、100%叶えたって小さな夢。(それはそれでとってもすばらしいことですが)壮大な夢なら、それに向かっていく過程で、自分の可能性も最大に発揮されていきます。その結果として、とっても大きなものを手に入れていることは間違いありませんね。さあ、あなたの中には、どんな壮大なビジョンがありますか?
まずはそれを楽しんでみましょう。
そしてじっくりと育ててあげましょう。
ちょうどあなたのお母さんがあなたを育ててくれたように。
1話終了です。
この話しいかがでしたか?決してほらを吹けといっているわけではありませんが、そのほらによって自分の目標が明確になったようです。野球選手が「今年は3冠王」とか「ホームラン40本」とシーズン前に公約するのもこれと同じようなものです。口にしてしまったことによって頑張らざるを得ない状況に自分を追い込んでいるわけです。
普通の日本人では「口にして実現できなかったら大恥じだ!」と考える人が多いと思います。ある意味ではそれが真面目なのでしょうが、世界的な成功を収めるためにはこのようなハッタリモ必要なのかもしれませんね!日本人がオリンピックで弱いのは日本人の生真面目な性格によるのかもしれません。
さて2つ目の話はそのオリンピックで金メダルを取ったマラソン選手の話です。
それでは始まります。
1. 人生の金メダリストから探る (上)
「運命の女神から微笑まれる方法」
「うちは大学生は採らないから、、、」
やはり、無理なのか、これで就職浪人になるのかな、と諦めざるをえないのかという思いが 一瞬頭をよぎった。しかし、10社以上の誘いをすべて断り、甘えも断ち切り、背水の陣で臨んでいた。道は一つしか残されていなかった。進む道だけ、、、。
「もしも、自分に陸上をつづけられる可能性が1%でも残っているなら、それに賭けてみたい」自分の人生が、このままあと何日間で決まってしまうかもしれない。決して後悔するような生き方はしたくない。たとえわずかでも可能性が残されているのなら、それに挑戦してみよう、、、。そんな思いが言葉になります。「自費でもいいから、合宿に参加させてください」真剣な思いが相手に届き、やっと許可がもらえる。「希望の光が射した瞬間だった」と後に彼女は振り返る。運命の女神は少なくとも3回あなたに向かって微笑むといいます。(エ? たった、それだけ?)彼女にとってその瞬間だったのでしょうか?
いえいえ、女神が微笑むどころか、どちらかと言うと、ドアがピシャリとしまっている風に見えたはずです。一見。高橋尚子選手と小出監督(当時・リクルート監督)との出会いの時の話です。入部前の高橋選手の実力は全国的にはさほどのものではありませんでした。高校生の時に出た都道府県対抗女子駅伝では47都道府県中45番という結果だった。後に「それ、区間賞をとるより難しいかもよ!」と先輩に笑われるくらい、、、。
インターハイもギリギリで出場できたものの、予選落ちで、決勝には残れませんでした。
高校時代の恩師からは「おまえは素質がないから、人の倍練習をしてやっと人並みで、人の三倍やって、はじめて人並み以上になれるんだ」と言われつづけていました。大学もとりたててスゴイ成績を出したわけではありません。しかし、練習量だけは多いつもりで「1日20キロくらい走ってます」と自信たっぷりに話すと、小出監督はびっくりした表情で「え、20キロ。それしか走ってないの?それって高校生以下だよね」という言葉にカルチャーショックを受けてしまいます。家族や親戚から「もう陸上はやめて、早く先生になる勉強をしなさい」とことあるごとにいわれ続けてきていたのです。それに対し、当時、小出監督率いるリクルート軍団は飛ぶ鳥を落とす勢いでした。有森選手がバルセロナ・オリンピックで銀メダルをとったばかりです。後に世界陸上で金メダルを取る鈴木博美選手やインターハイの優勝者などが目白押し。超一流選手もあこがれるチーム・監督に対し、実力・実績もなければ、練習量も高校生以下の高橋選手。おまけに会社の規則で大卒は採用しないことになっている。幸運の女神が微笑むどころか、ドアがピシャッと閉ざされているような状態に普通なら見えたでしょう。しかもとてもあけられそうもない鍵がかかっている。普通なら諦めて、ドアに近づくこともしないかも知れません。
しかし、高橋選手はドアを強く叩いた。
この背水の陣を敷いた行動がなければその後の数々のドラマは生まれなかった。入部後、小出監督は高橋選手の走りを見ては、「おまえは強くなるよ。きっと世界一になれるよ」そう毎日のように言いつづけた。
他の部員より明らかに実力・実績も劣る彼女に。最初はあまりにも周りに強い人ばかりなので、引け目を感じないように励ましてくれていると感じていたようです。しかし、『一年三百六十五日、「おまえは、世界一になれるよ」と言われつづけていると、だんだんその気になってくるものである。「もしかしたら、私にも可能性があるのかもしれない、、、」
ようやくランナーとしての<夢>が芽生えはじめたような気がする』すると、『「とても、できないよ」と反発したくなるときでも、監督はニコッと笑顔をみせて、こうつづける。
「高橋、これやったらすごいぞ、おまえ。また強くなっちゃうなぁ」』
そんなことの繰り返しで、次第に実力がついていく。しかし、すべてが順調だったわけではありません。初マラソンが不本意な結果に終わり、これが最後のマラソンになるかも知れないと思い、臨む2度目のマラソン。「このレースでダメだったら、私はマラソンに向いてないからやめよう」とそこまで思いつめた、レースもあった。しかし、それも小出マジックで二人三脚で切り抜けていく。
ここ数年「走れば、必ず優勝」そんな高橋-小出コンビ。しかし、全て順風満帆だったというわけではありませんでした。これが最後のマラソンになるかも知れないと思い、臨んだ2度目のマラソン。このレースでダメだったら、私はマラソンに向いてないからやめよう」とそこまで高橋選手は思いつめたレースだったのです。ところが、監督が示したタイムにはナント「2時間25分・日本記録」と書いてあったのです。それまでマラソンでは実績をほとんど出していない一般には無名に近いランナー。初マラソンでは期待通りに走れなかった。しかも、尊敬する先輩である有森選手も鈴木選手も出していない記録。その記録がどのくらいレベルの高いものか、本人はわかっていました。だから、高橋選手自身「絶対無理だよ」と内心では思っていました。
ところが練習をメニュー通りこなし、ゴールしてみれば、記録は2時間25分48秒。当時の日本最高記録でテープを切ることができたのです。
その後もこんなこともありました。常勝の高橋選手もオリンピックの最終選考会の前月、食中毒で倒れてしまいます。数ヶ月かけて調整をしていくマラソン。これは大きなダメージです。このときを回想して小出監督は語っています。「Qちゃん(高橋選手)を見ていて、オリンピックなんかないほうがいいと思いました。苦しかった。1000本の糸のうち、999本の糸がきれたようでした」有森選手で2度までオリンピックでメダル獲得を果たした小出監督をしてこのように語らせるほどのピンチでした。しかし、それらの荒波を二人三脚でくぐりぬけていき、そしてオリンピックを迎えます。『高橋が、いつものような調子で走り抜くことができるか。もちろん、強敵は多い。その中で、最初に競技場のトラックに 走りこんでくるのは、誰なのか?私には、はっきりとその姿が見えている。私が何度も思い描いた光景の中に、ひときわはっきり見えているのは、もちろん彼女、高橋尚子の晴れやかで、すがすがしい「笑顔」なのだ』
そして当日。(次の文章はオリンピックの数ヶ月前に考えられたものです。そして、直前に出版された本の中に書かれているものです。)
『スタートから下り坂を、一挙に走りおりたあと、今度は上りに変わる。徐々に先頭集団が形成されていく。高橋はしっかりとその中に入っている。二十キロ地点。先頭集団が割れ始める。高橋を含めた三人が競い合っている。三十キロ地点になると、ひとりが脱落し、二人だけの競い合いになっている。相手はケニアのテグラ・ロルーペだ。競い合いは三十五キロぐらいまでつづく。不思議に高橋の力は劣えない。苦しい時期を通り過ぎて、足がどんどん前に出る。表情はほほえんでいるようにさえ見える。そして、ロルーペに五十メートルぐらいの差をつけて、マラソンゲートを潜る。ゴールのテープを切り、スタンドを埋めつくした何万人という観衆に「ありがとう!」といって手を振る-。私たちは毎日、いま記したようなイメージを頭の中に描きながら厳しい練習を積み重ねてきた。勝利には方程式があり、正しいイメージトレーニングは大切だと思う。』
シドニー・オリンピックで見事金メダルを獲得した高橋尚子選手と小出監督。
サングラスを投げ捨てると共にスパート。さわやかな笑顔で「ありがとう」を言いながら手を振る高橋選手のことはいまだに記憶に新しいのではないでしょうか?
二人は何ヶ月も前からこのようなイメージを繰り返し描き続けてきたのです。そして念密な計画を練ってきています。練習や食事のメニューは言うまでもありません。さらにこんなことまで。コースの32キロ付近に宿舎を借り、毎日、朝夕の2回、上り下りが続く32キロから37キロ地点でスパートする練習をしたのです。ここが勝負所だと確信していたから。 そして当日、その結果、驚くべきことにほとんど同じ情景を私たちはTVの前で見ることができたのです。テグラ・ロルーペのところは、ルーマニアのリディア・シモン。先頭集団三人のあと一人は高橋選手でした。レース展開もほぼ同じと言ってよいでしょう。当日の実際の状況は、「サングラスを外して沿道に放るのが、スパートの合図でした。シモン選手と一騎打ちを演じていた高橋選手が、勝負をかけたのが上り下りが続く35キロ直前。腕の振りが大きくなって、ピッチも上がる。金メダルへのスパートが始まった。」小出監督が語ります。
「こんなに呑んべぇの、へっぽこオヤジでも、一生懸命やれば、世界一の選手とめぐり合える。それを僕は証明してみせたかったのです。」「人間は、願望が強くなければいかん。オレは将来、何歳ぐらいまでに、こういう人間になるぞという強い願望を持つこと。願望が強いと、人間というのは、遠回りしながらでも、願望に強く向かっていくものです」
「遠回りしながらでも、、、」『私はつい4年前までマラソンを一度も走ったことがなかったのだ。監督と出会って、この4年間の時間の中で、私の人生は変わったし、人は変われるものなのだと、本当に実感している。「自分はもう年だから」とか、「私は就職しちゃったから」とか、そんな諦めはまったく必要がない。私のように弱い選手でさえ、夢や希望をもって頑張るだけで、こんなにも違う人生を味わうことができるのだ。夢をもって頑張れば、必ずかなえられる。』イメージの力は本当に素晴らしい結果を引き出します。
あなたの夢が達成されるシーンをこのように何回もイメージしてみませんか。
あなたの「未来日記」はやがて現実となります。
心底願い、イメージし、工夫しつつ行動し続ければ・・・
私達にはいつでも白紙の未来日記が用意されています。すぐ目の前に。
あとは自由に書き記すだけ。
余談—————————
小出監督がオリンピックのレース予測を書いて(話して?)いたのを高橋選手が金メダル獲得直後に見て、驚きました。ここまでピッタリ一致しているとは・・・・・・・
勝負は水物、実力は紙一重、その日の体調一つで結果が大きく変わる。プレッシャーに弱いと言われる日本人、マスコミの異常なまでの報道。それらを考えると、どうなるか、わからないにも関わらず出版してしまうなんて・・・・・これも自信の現れだったのかも知れませんね。あとは、やることはやったんだから、結果がどうなろうと一点の恥じることもない、といった心境だったのでしょうか?
小出監督もビルゲイツと似ているところがあるのかもしれませんね。このような性格の人が思いも寄らない大成功を起こすようです。アトピーとかいろんな慢性的な病気で困っている方々もこの2人の考え方を真似して「もう治っている自分」を毎日イメージして生きていくと完治も早いかもしれません。是非ともお試しください。最後にもう1度この言葉を残して今月のトピックスを終わります。
「人間は、願望が強くなければいかん。オレは将来、何歳ぐらいまでに、こういう人間になるぞという強い願望を持つこと。願望が強いと、人間というのは、遠回りしながらでも、願望に強く向かっていくものです」
「遠回りしながらでも、、、」
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