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2014年9月のアーカイブ

秋のコールド負けから、翌夏の全国優勝へ!

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今年の全国高校野球選手権は大阪桐蔭高校の2年ぶり4回目の優勝で幕を閉じました。
スポーツ新聞を読んでいる方なら、今回の大阪桐蔭チームが昨年秋の近畿大会で履正社(今年の春の準優勝高)に5回コールド負けをしているという記事を読まれて既に知っている話しかもしれません。
実は、大阪桐蔭には、秋の近畿大会でコールド負けをしながら、翌年夏の甲子園で全国優勝したことが過去にも1回あるのです。
それは今から6年前の平成20年の夏のことです。
この時のチームはいま日ハムで4番を打っている中田翔選手が9月に抜けたあとで、新チームとしての体制が十分に出来上がっていなかったときなのですが、PL学園相手に9対0でコールド負けしています。
大阪桐蔭では、全国優勝まではいかなくても、秋にコールド負けをすると、意外に夏は盛り返すというパターンがそれまでにもあったのです。
皆さんが知っている阪神タイガースの西岡選手が主力となった平成13年は、それまでの主力選手である西武の中村剛也(おかわり君)、阪神の岩田投手が抜けてチーム力が格段に落ち、秋の大阪大会の4回戦で大阪産業大付属高校に8対1でコールド負けをしました。
しかし、翌年は全く同じメンバーながら夏の大阪大会を勝ち抜き11年ぶりの甲子園出場を果たしています。
次は、巨人に大物左腕として入団しながら昨年故障のため引退した辻内投手やいま中日の主力打者の平田選手が在籍したチームも、秋の大阪大会では上宮太子に9対0でコールド負けをしました。
翌年は、夏の甲子園出場を果たし、優勝した駒大苫小牧に惜敗したものの、ベスト4進出を果たすことが出来ました。
こんなことから、昨年の秋にコールド負けを喫した時も、チームナインやOBたちは、意気消沈することなく、「今回もジンクス通り、翌夏には大輪の花を咲かせてやろう。」と猛練習を始めました。
そして、結果は2度目の「秋のコールド負けから、翌夏の全国優勝!」という見事な成果を成し遂げました。
実は、インターネット2013年10月4日の「部活動」というコーナーの「淳なつぶやき」という書き込みの中で、「大阪桐蔭、秋のコールド負けは夏の吉兆!!」という題名で今回の大阪桐蔭の優勝を予感させるような文章が書かれているのです。
書いた方は、多分、大阪桐蔭の熱烈なファンか関係者でしょうが、今になって自分の書いた文章にびっくりしているのではないでしょうか?
半分は、チームへの激励と期待をこめて書いたのでしょうが、この記事を昨年10月に書いていたというのは、大阪桐蔭とは第3者の小生にとっても「お見事でした。」と驚かざるを得ません。
今回のことで学べることは、「1度完敗したからって、それが一生の負けに繋がるわけではない。」ということ。
「都合のいいジンクスをうまく利用すれば、結果が期待通りになっていくこともある。」ということ。
皆さんも今回の実話から、自分が真似出来る点があったら、ぜひとも取り入れてみて下さい。

PS.
もう30年以上も昔のことなので、40歳以下の方では全く知らない話ですが、PL学園もかつて同じような結果を出したことがあります。
昭和50年代はPL学園が最強の時代で、昭和56年、57年と2年連続して春の甲子園大会を制していました。
そして、翌年の3連覇のためには57年秋の大阪大会で上位になることが必須だったのですが、残念ながら早期に敗退して58年春の甲子園は出場が出来ませんでした。
ところが、その敗戦をバネにしたのか、そのチームは夏の全国大会で優勝してしまいました。
1年先輩、2年先輩は春に全国優勝していても、夏は甲子園に出ていません。
結局、其の代の選手たちは、先輩たち以上の立派な結果を残したのです。
とにかく、高校野球に限らず、勝負は1回だけではなく、その時に完敗しても頑張れば、その後、逆転出来ることもあるということを、大阪桐蔭やPL学園の快挙から学んで下さい。

文責  
谷口雄一

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