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当院の地震被害と(なんだって)しあわせハガキの紹介!

3月11日14時46分に起きた東北・関東大地震において当院は大ダメージを受けてしまいました。3月3日にキュテラ株式会社のクリニカル・セーフティ・アドバイザーの方がオバジニューダームシステムについてセミナーを行ったばかりの新館ホールは内壁、外壁ともにガタガタに崩れてしまい、3月18日から足場をかけて修復が始まったところです。
もし、大勢の方がホールにいる時にこの地震が来ていたらと思うとぞっと致します。
当院の建築(第1期が昭和62年11月から昭和63年5月にかけての医院建築、第2期が平成5年5月から平成6年3月までの3階増築、第3期は平成10年4月から平成11年4月までの新館建築)内容をすべて把握している大木リフォーム株式会社の竹田清志取締役統括営業部長の話では、内壁、外壁はすべて張替えが必要であり、また建物の構造計算をやり直して、大量の鉄骨の補強が必要とのことです。本館と新館をつなぐ通路にも亀裂が生じてしまい、ナースたちは、新館2階にあるスタッフルームに行けなくなってしまいました。
いま現在、1番恐ろしいのは、、石油タンクの真上にある外壁が崩れかかっていることです。
今後、大きな余震が来て、崩れ落ちる外壁が石油タンクを破壊し、そこにガスの火がついたりしたら、大火災になってしまいます。
壊れた部位をすべて修復するには、日数、費用ともどのくらいかかるのか、現段階では全く予想がつかない状態です。院内の備品の破損も甚大でして、開院時から産婦人科待合室にあった大きな置時計(義理の父から開院祝いとして頂いたものです。)や産婦人科診察室にかかっていた掛け時計(恩師である五十嵐正雄群馬大学名誉教授から開院祝いとして頂いたものです。)も、修復不能な状態まで壊れてしまいました。
しかし、テレビで見る宮城、岩手の方々は自分たちよりもはるかに悲惨な状態です。
自分は、今までに何度か人生のピンチを乗り越えて来ましたが、今回の大地震も大ピンチです。過去の人生において最大のピンチは、昭和52年4月にアメリカサンディエゴにおけるホームスティから戻って来た数日後に父が急死して、まだ大学6年の身でありながら、病院の建物と職員を残されて、収入ゼロなのに職員の給料を払っていた時期です。
その時の残務処理を思い出してしまいましたが、あの時は我が家だけに不幸がやって来たという感じでした。しかし、今回の場合は自分だけにふりかかった災害ではないので、もっと悲惨な方々のことを考えて、何とか乗り切ろうと思っています。
昨年の正月に、私がよく能力開発のCDやDVDを買うVOICEから、(なんだって)しあわせという年賀状を頂きました。
当院では、昨年1月からこのハガキをカラーコピーして数箇所に貼っていましたが、1年3ヶ月近くたって、やっとこのハガキの活躍する出番がやって来ました。
今月のマンスリートークでは、当院のHPを読んで下さっている皆さんにも、是非ともこのハガキを利用して頂きたいと考えたため、(なんだって)しあわせと書かれたハガキを紹介したいと思います。

(なんだって)しあわせ

と、いえる人生がいい。そう思う。
大好きなあの人が去って行ったとしても、まだ世界の半分を好きになれる。
脳溢血で半身マヒになったって、残り半身が倍働いたら遜色はない。
余命3ヶ月と告げられたなら、まだ3ヶ月は世界の美しさと共にいられる。
目が見えなくなったら、音楽の美しさにもっともっと敏感になるだろう。
財産を失って、すってんてんになったなら、世界最強の身軽さを体験できる。
ひとがすべて死に絶えて、地球に自分ひとりになったって、はたまた、宝くじで3億円の、狂おしい大当たりをしたとしても、まだ、そこにあるしあわせを発見し、ひとは、それをいつくしむことができる。
だってカメラを引いたなら、実は世界から、なにも減っていないのだから。
次元は無限に重なり合い、あなたは「そこ」であると同時に、「あちら」でもある。
リアリティというまぼろしのカーテンは、いつでも引いて開けることができる。
でもしかし、それでもなお、いまのこの世界は美しい、と、そう思う。
そうやって想像された人生の底値からすれば、ここは天国以外のなにものでもない。
いま、ここの温かさを、ありがたく味わい尽くす、その大いなるしあわせ感・・・・。
開けまして、おめでとうございます。
今年も1年、いっしょに遊んでください。
平成22年  元旦
ヴォイス・グループ

このハガキを壁に貼って、日々見ると、いつなんどきも、しあわせを感じられるひとになれます。

文責
谷口雄一
平成23年3月19日

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